2017年12月

・ラリーを制するものはゲームを制す



・足りない技術は頭でカバー



高校時代の自分のスローガン


サービスエースを取れるほどサービスが上手いわけではなかったし、一発で抜けるほどドライブの威力があったわけではなかった。

他の人の話を聞き、自分で色々考えた結果、ドライブのラリーの中で粘りながら、コースや変化をつけてチャンスを作っていくという結論に達した。

引き合いは好きだったし、どうやらドライブで粘るのは得意なようなので、そういう結論になった。


ラリーで点を取るためには主導権を握らなければならない。

相手が握っている主導権を奪うのはリスクが必要である。

よって先手を取ってラリーの主導権を握る必要がある。

ラリーの先手争い。
つまりは台上技術の戦いである。

だからこそ、台上を制するものはラリーを制すのである。



まぁ、今思うと台上の練習も頭の訓練も全然足りていないのだけど。
引き合いの練習ばっかりやったからなぁ。

卓球は繊細なスポーツだと言われるけど、その中でも最も繊細な技術の一つがストップだ。

ラケット角度や力加減を間違えると、たちまちチャンスボールになってしまう。


これをしっかり決められるかどうかで、一つ強さのランクが変わってくるように思う。




戦術的にも重要な技術だ。
キレイに短く低く止まったストップは、攻めていくのが難しい。

また、他の台上技術が台から出るのに対して、ストップは短く止まる。

つまり、ストップがないと相手への動作の負荷は左右の動きの負荷のみである。


これにストップが加わると前後の動きの負荷を加えられる。



ということでストップ。
しっかり練習したい。


水戸黄門じゃなくて卓球の話

いつからこんなに体勢が高くなってしまったのだろうか?

高校の時は、ランニングもしてたしそれなりの練習量があったから体力を確保出来ていたけど、今はぐうたら生活で、卓球してるといつの間にか体勢が高くなっている。

仕事中、空気椅子でもやってようか…




頭を低くするというのは、台上技術の基本だと思う。

個人的には、ネットより少しだけ高いくらいに目線を合わせる。ボールの高さに合わせるイメージ。



まずは、1日を通して、体勢を低く保てる土台作りからかなぁ。

ツッツキ練習反省


いつのまにか、下半身がサボるクセがついてたようだ。


頭、体勢を落す。しっかり右足を入れる。

台上の基本。

結局、基本がちゃんと出来ていないのに、腕先だけ頑張っても質のいいツッツキなんて出来っこない。


ツッツキは身体で送る。

昔の自分はフォーム至上主義みたいなところがあって、ただ一つのキレイなフォームをひたすら求めていた気がする。

まぁ、そのおかげで現在のそこそこキレイなフォームがあって、色々な技術も習得しやすくなったのだから、全部を否定する気はないけれど、もうちょっと自由にやれば良かったなぁと思う。



卓球はただ一つの正解があるわけではなく、色々な正解があるもっと自由なスポーツだと言ってあげたい。


卓球のフォームにもし正解と不正解があるとするなら、得点に繋がるか、繋がらないか。失点に繋がるか繋がらないか。評価の基準はこれでしかないと思う。


卓球というゲームは相手より先に11点をか取る、これを3回先に繰り返した方が勝ちというゲームである。
別に、ボールのスピードを競うわけでも、回転量を競うわけでも、コントロールの精度を競うわけでも、ましてフォームのキレイさを競うわけでもない。


結局のところ、フォームや技術といったものは手段に過ぎず、目的ではない。

極論、その11点を先にとるという目的の為には、手段は何でもいいのである。


たとえ、どんなヘンテコなフォームでも、それが得点に繋がるならばそれはそれで正解だと思う。

たとえ、キレイなフォームであろうとも、ボールが入らなければ意味がない。

案外ヘンテコなフォームで、ヘンテコなボールがいって相手がミスするということもよくある。



キレイなフォームが悪いというわけではない。
むしろ、卓球の歴史の中で、先人達が培ってきた、万人に共通する間違いのない
正解のフォームである。


まぁ要するに、目的と手段を履き間違えていないか?
それだけは昔の自分に言ってあげたい。




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